大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和31年(う)1803号 判決

被告人 阿部行蔵 外一名

主文

原判決を破棄する。

被告人阿部行蔵、同小松勝子を各懲役三月に処する。

但し孰れも一年間右各刑の執行を猶予する。

訴訟費用は第一、二審共全部被告人両名の連帯負担とする。

被告人小松勝子の本件控訴はこれを棄却する。

理由

検察官の控訴趣意について、

検察官の控訴趣意の要旨は、原判決は本件公訴事実に対し「帰国者数名が、昭和二八年五月一七日午後八時三〇分過頃舞鶴引揚援護局第二寮二階第二区室における帰国者大会の席上において中島輝子を捕えた事実は逮捕の構成要件を充足し、更に同女の身分、不退去の理由を調査するため演壇前に突き出し、同所で調査した後大多数の大会参加者の同意の下にその調査を十数名の調査員によつて食堂で行わせることとし、同室における調査の間及びその後階下六区室において木下清一等が中島を発見しこれを連れ戻すまで同女を抑留した事実及び被告人両名が右食堂における抑留に加担し、更に被告人小松がその後の抑留にも加担した事実は一連の監禁の構成要件に該当し、形式的に違法性の存在を推認せしめるものであることは明らかである」と認定しながら、一連の監禁の構成要件に該当し不可分的に違法性判断の基礎となるべき事実を恣に分割して考察し、被告人阿部及び同小松等の第二寮二階食堂における監禁は、実質的に行為の違法性を欠くから、刑法第三五条に従い罪とならずと判断し、且つ右の監禁に引き続いて行われた同寮階下六区室における監禁については、被告人阿部が共犯関係にあつたことにつき証明が十分でないとし、結局同被被告人に対して無罪の言渡しをすると共に、被告人小松の右六区室における監禁は、実質的にも違法性を具有し、刑法第二二〇条第一項第六〇条に該当するが過剰行為としての責任を問うべきであるところ、同被告人の右の所為は中島輝子の違法な侵害行為に対しその侵害回復の手段と将来の対策を講ずるため疑惑を闡明しようとして開始された帰国者等の調査行為に加担した結果その程度を超えて惹起されたものであるから同法第三六条の正当防衛の要件を充たすものではないけれども、なお同条第二項の趣旨を準用してその責任を定めるのが相当と解するとして結局被告人小松に対して刑の免除を言渡したのであるが、右原判決の理由とするところは根本において、六区室における監禁について被告人阿部が共謀している事実、食堂と六区室における監禁の一貫性に関する事実及び刑法第三五条適用の前提たる事実を夫々誤認し、憲法第一九条、第二一条、刑法第三五条、第六〇条、第二二〇条第一項の解釈適用並に同法第三六条第二項の準用を誤つているばかりでなく、理由不備、量刑不当及び訴訟手続の違背等重大な瑕疵があつて、当然有罪の認定を受くべき事実につき無罪と判断し、刑の免除をなすべきでないのに刑の免除をなした失当があり到底破棄を免れないと謂うにある。仍つて右各所論に基き本件記録を精査し、原判決を仔細に検討勘案するに、本件公訴事実の要旨は、「被告人両名は、江戸千代士等十数名と共謀の上昭和二八年五月一七日午後九時半頃、舞鶴市大字中田所在の舞鶴引揚援護局第二寮二階第二区室において開催された第三次興安丸帰国者大会の席上、同局職員中島輝子(当二六年)が不当に大会内容を聴取して筆記したものとなし、その理由を究明するためと称して、同女の右腕を捉え、その身体の自由を拘束して不法に逮捕した上、右会場の隣室である食堂に連行し、右同時刻頃より翌一八日午前二時頃迄の間、右食堂内及び同寮階下第六区室内において夫々右各室の出入口及び同女の身辺に監視者を附し、同女に強いて右各室内に抑留し、以て同女を不法に監禁したものである」と謂うにあるところ、原判決は「被告人両名の経歴及び在華同胞の帰国問題に対する協力の経過」「本件事件発生の経緯」の項を設けて夫々詳説した後「罪となるべき事実」として「前示のとおり五月一八日午前一時頃食堂における調査員は解散したのであるが、その後も中島は暫く数名の帰国者と共に食堂に残されていたところ、被告人小松、総代表今野一男は中島を宿直室に宿泊させることについて吉岡庶務係長から明確な承認を得たわけではなく、又帰国者の中から翌朝の援護局との折衝に中島を立会わせたいとの意見も出たため、第二寮階下六区室附近で帰国者数名及び下山和子と共謀の上中島を右六区室の帰国者宿泊所に宿泊させ翌朝まで引続き抑留しようと考え、午前一時過頃被告人小松は中島の手を引き帰国者数名及び下山和子がこれを取囲むようにし、第二寮中央階段を通つて同女を階下六区室内に連れ込んだが、同室の板敷中央廊下を挾んで両側に敷いてある各百畳位の畳上には多数の帰国者が就寝していたので同室西側出入口に寄つた南側畳上に毛布を敷き同女を同所に寝かせようとしたが、同女がこれに応ぜず、中央廊下と畳敷との間の踏み板に腰掛たのでそのまま放置し、被告人小松、下山和子がその後方に横になり、北側畳上には帰国者数名が座つて同女を監視し、なお同女が間もなく東側便所に赴こうとした際にも、被告人小松及び帰国者の一人がその両腕を取つて誘導する等し、午前二時頃中島を捜し求めて同室に入つて来た同局相談室勤務非常勤職員木下清一、給養課長石黒尚、同係員平岸隆が中島を発見し庁舎に連れ帰るため同女の腕を抱えるまで同女を抑留して監禁したものである」として被告人小松が帰国者数名及び下山和子等と共謀の上中島輝子を第二寮六区室に抑留監禁した事実のみを認定し、被告人阿部については被告人小松及び帰国者等と共謀して中島輝子を昭和二八年五月一七日午後九時半頃舞鶴引揚援護局第二寮二階食堂室に抑留監禁した事実を認定しながら、右監禁は実質的に行為の違法性を欠くから刑法第三五条に従い罪とならずと判断し、右の監禁に引き続いて行われた前記同寮六区室における監禁については被告人阿部が共犯関係にあつたことにつき証明が十分でないとし、同被告人に対しては無罪の言渡しをすると共に、被告人小松の右六区室における監禁は実質的にも違法性を具有し、刑法第二二〇条第一項第六〇条に該当するが、同法第三六条第二項の趣旨を準用し、過剰行為としての責任を問うべきであるとして同被告人に対して刑の免除の言渡しをしていること原判文上洵に明らかである。

そこで検察官の所論について順次検討する。

第一、論旨第一の三について、

所論によれば、原判決は被告人阿部につき六区室における監禁の共謀関係を否定しているのであるが、此の点につき事実誤認がある旨主張する。そこで所論に基き原判決並びに本件記録に現われている全証拠を仔細に検討考察するに、

原判決は罪となるべき事実の認定においては、被告人小松についてのみこれを認め、被告人阿部を除外しているのである。そして他の個所において「本件において罪となるべき事実は、被告人小松、今野一男等が被告人阿部が旅館に帰つた後中島を六区室に宿泊させ抑留した事実であることは判示のとおりであるから、被告人阿部に対し、右の事実につき刑事責任を問い得るためには同被告人が被告人小松、今野一男等と共犯の関係に立つことが認められなければならないのであるが、前段説示により明らかなように同被告人は何等実行行為を分担していないのであり、又同被告人が当夜中島輝子を寮内に宿泊させることにつき、被告人小松、今野一男等と共謀したと認めるに足る証拠も何等存しないのであるから、共謀共同正犯としての責任を問うこともできないと謂わなければならない。」(記録二、四八六丁)「被告人阿部については、被告人小松が他数名と共謀し、中島輝子を右食堂から六区室に連行し同所に抑留したとの判示罪となるべき事実につき、その犯罪の証明がないから結局被告人阿部に対しては刑事訴訟法第三三六条に従い無罪の言渡をする。」(記録二、四九五丁裏)、と夫々摘示していること判文上洵に明らかであり、原判決は、右の如く事実を認定するに至つた事由を詳述しているのであるが、要するにその骨子として、(イ)総代表今野一男、乗船代表江戸千代久、被告人小松の三名が宿舎の交渉等のため次長室に赴いた際、仮に中島輝子がなお食堂に残留し、当夜同女を寮内に宿泊せしめることにまで話が及んだとすれば、宇野次長等はその救出のための手段を尽したであらうと解せられるから、同次長室においては中島輝子の名前が出されず、同女の問題については簡単な報告と翌日の交渉についての話し合いがあつたに過ぎず、従つて宿舎の交渉についても中島の宿泊に関しては打合せがなく、被告人両名等来賓の宿泊についてのみ折衝が行われたものと解するのが相当であること、(ロ)原審証人今野一男の証言のうち中島を寮内に泊めることは調査員の全員が知つていた旨の供述部分は真実性に乏しく、同証言の他の部分すなわち食堂で中島が考えさせてくれと言つたので調査員の全員ではなかつたが、中島を寮内に泊めた方がよいのではないかと話し合つた旨の供述部分及び原審証人下山和子の証言を綜合すれば、中島の寮内えの抑留は被告人阿部が食堂を立去つた後第二寮階下六区室附近で、今野一男、被告人小松その他帰国者等が相談して決めたものと認められること、(ハ)本件当夜午前二時頃木下清一外二名の援護局職員が第二寮六区室において中島輝子を発見し、同女を連れ戻そうとした際被告人小松、今野一男が交々被告人阿部の諒解を得なければ中島を渡せないと拒否する態度に出たのは、被告人阿部自身の気持にかかわりなく被告人小松等が同被告人の指示を仰ぎたいと考え右の発言をしたと解する余地もあること、(ニ)被告人阿部の検察官に対する昭和二八年一一月七日付供述調書中中島輝子を寮内に宿泊せしめるについては、大会の決議により翌朝援護局側と交渉するまで寮内に留めておくことに定められたため被告人阿部は右の決議に従うよう帰国者調査員に指示した旨の供述部分は本件の有力な証拠とすることはできないことを挙示していること、原判決によつて明らかである。

よつて審按するに、原審第一一回公判調書中証人高橋善之介、同渡辺武雄、同第一四回公判調書中証人副島富士枝、同小林吉四郎、同第一三回公判調書中証人今野一男、同第一六回公判調書中証人江戸千代士、同第一七回公判調書中証人芳賀沼忠三、同第七回公判調書中証人津島一江、同石黒尚、同第八回公判調書中証人吉岡幸成、同第九回公判調書中証人平岸隆の各供述記載(以下単に供述と称する)、原審証人中島輝子、同木下清一に対する各証人尋問調書(中島については第一回、以下単に尋問調書と称する)、当審証人今野一男、同江戸千代士、同青木正一、同中島輝子、被告人阿部の各公廷における供述、当審証人中島輝子、同吉岡幸成、同津島一江に対する各尋問調書、被告人阿部の検察官に対する昭和二八年一一月七日付供述調書等を綜合すると、総代表今野一男において中島輝子の問題をいかにするかを帰国者大会に諮つたところ、中島の問題については徹底的に調査の上今後かかる事態の発生することのないよう援護局と折衝することとし、これらの事項は調査員に一任することを了承して原判示五月一七日午後一二時過頃散会し、食堂にいた調査員にもその旨の連絡があつたので、調査員等はその後なお暫く中島の調査を続行したが、既に深夜に及んでいたため中島の調査は一応打切り、被告人両名を初め今野一男、江戸千代士、芳賀沼忠三、その他中島輝子の調査に当つていた帰国者数名等の調査員の間において、中島の問題を宇野次長に報告し、翌朝改めて援護局と折衝すること、右の折衝に中島を立会わせるため同女を寮内に抑留し、被告人小松等においてその実行の衝に当ること等を協議決定していることを認め得るのである。

ところで原判決は、中島を寮内に抑留するについては、被告人阿部がその謀議に参加していることを否定し、その事由を詳述しているので所論に基きこの点について更に考察することとする。

(一)  先づ原判決説示の前記(イ)の点について検討するに、前記証人吉岡幸成の原審における供述、同人に対する当審の証人尋問調書、証人宇野末次郎の原審第四回公判及び当審における供述を綜合すると、原判示五月一八日午前零時三、四十分頃江戸千代士、今野一男、被告人小松の三名が次長室に宇野次長を訪れ、次長に対しては中島の氏名を出さず、単に援護局職員が帰国者大会の席上メモをして発見されたことだけを簡単に述べ、詳細は翌朝の折衝に譲ることとして次長の諒解を得た上、今夜は用事が何時までかかるか判らないから局内に泊めて欲しいと申入れたが、同席していた吉岡庶務係長は、車の手配をするから何時になつてもよいから帰つて貰いたいと右の申入れを拒否していること並に右宿泊の交渉に当つては中島の名前が明示されていないことが窺われるのである。然しながら、中島輝子は当夜食堂において調査をうけており、右江戸等三名もその調査に当つていた経緯に徴すると、江戸等の右申入れの趣旨は要するに、中島の調査が何時終るか判らないから、調査に関係している者を泊めて欲しいとの趣旨に解されるのであるが、江戸等以外の宿泊を希望する者の氏名、員数等は具体的に明示されていないのみならず、中島の問題を報告するに当つても、別段中島の名前が出されていないこと、その他右宿泊の交渉の行われた頃には既に中島に対する調査は一応打切られており、被告人両名及びその他の調査員等に中島を解放する意思があるならば、当然同女を援護局職員に引渡す等適宜の措置をとるべきものと思われるに拘らず、何らかかる措置をとることなく、却つて右の如き宿泊の交渉をしている点等を併せ考えると、宿泊の交渉に当つて中島の名前が明示されなかつたとしても、これをもつて同女の宿泊について、予め打合せがなかつたとの有力な根拠とはなし得ないものといわねばならない。

なお前記証人吉岡幸成の原審における供述、当審証人吉岡幸成、同津島一江に対する各尋問調書、当審証人宇野末次郎の当公廷における供述を綜合すると、(1)援護局としては帰国者との間に摩擦を起すことを極力回避していたこと、(2)前夜来中島輝子が食堂において調査をうけており、同女の消息について詳細が判明しない折柄宇野次長等は前記の如く援護局内えの宿泊の交渉をうけ、しかも江戸等が前説示の如く、用事が何時終るか判らないから泊めて欲しいと申入れたことにより、その頃中島は依然帰国者等のため寮内に引留められており、同女の調査が何時終るか判らない状況にあることを察知し得たであらうこと、(3)江戸等が次長室を退去した後宇野次長はなを暫く局内に残留していたに拘らず、中島の救出について何等具体的な指示をも与えず帰宅していることを夫々認め得るのであつて、以上の事実に基き考察すると仮に原審証人今野一男、同江戸千代士の供述するが如く、宇野次長との間に中島輝子の寮内えの宿泊について話し合いが行われたとしても、宇野次長等は直ちに同女の救出に努めたであらうとは断じ難く、右認定に反する証人宇野末次郎の原審並に当審における供述は輙く措信できない。

以上説示のとおり、何れの点から考えても、宿泊の交渉の状況のみから推論して右交渉に先立ち、中島を寮内え宿泊させることにつき予め打合せがなかつたものとは速断し得ないのである。

(二)  次に原判決説示の前記(ロ)の点について考察するため、先づ原審第一三回公判調書中証人今野一男の供述部分を検討するに、同人はその供述の最後の部分において、裁判長の問に対し「中島を何処え泊めるかということについて時間的なことは記憶していないが、相談はしたと思う、そのことは調査員全員知つていた、阿部も知つていたと思う」旨供述しているのであつて、調査員全員が如何なる事情でこれを知るに至つたかについて、相談をしたからこれを知つていたと解せられる供述をしているのであり、従つて原判決説示の如くこの点について何らの供述をしていないことを理由として直ちに右供述部分の信憑性を否定する根拠とはなし得ないのである。

次に同証人は、右の供述をなすに先立ち、検察官の問に対し「別室にいたとき中島が考えさせて呉れと云つたので、その時全員ではなかつたと思うが、中島を寮え泊めた方がよいのではないかと云う話合があつたと思う」と述べ次で「中島に階下の部屋え行つて休まうと云つたところ、考えさせて呉れと云つた」と述べているのであつて、右のうち後者の供述によれば、中島が考えさせて呉れと云う前に同女を階下の部屋で休ませることが決定せられていたようにも思われるのであつて、直ちに右の前者の供述のみを真実とは断じ難いばかりでなく、証人中島輝子に対する原審第一回尋問調書によれば、中島は「階下の部屋え連れて行かれる前に云われるままに一緒につてい行けばどうなるか判らないと思つたので、一人にして呉れと云つたが小松は聞き入れて呉れず、私の右腕をとらえて階下え連れて行つた」旨供述しているのであつて、右供述によれば、原判決説示の如く同女が一人にして呉れと云つたのは階下え移動させられる直前であつたことは明らかであるが、同女が一人にして呉れと申出る前に既に同女を階下え移動させることが決定せられていたことが窺われるのであつて、右の供述及び前記証人芳賀沼忠三の原審及び同青木正一の当審における各供述等と対比して考察すると、今野一男の右の前者の供述部分は信憑性に乏しいものといわねばならない。

また原審第二七回公判調書中下山和子の供述によれば、中島輝子が一人にして呉れと云つたので援護局に対し、中島を含め帰国者以外の者の宿舎の交渉を始め、その間二、三〇分間中島は食堂に一人でいたが、宿舎の交渉が不調に終つたため、中島は階下で宿泊するようになつたと云うのであつて、同人の供述によれば中島が一人にして呉れと云つたのは、同女が階下え移動させられる二、三〇分前ということになるのであつて、同女の右供述部分及び同女に対する当審の証人尋問調書中中島を寮内に宿泊させることが第二寮階下六区室附近で協議せられたかの如き供述部分は他の関係証拠と対比し到底措信し難い。従つて原判決の説示するが如く、右今野一男、下山和子の証言を綜合しても、中島の寮内えの抑留は同女が階下え移動させられる直前に、第二寮階下六区室附近で今野一男、被告人小松その他の帰国者等が相談して決めたものとは到底認め難いのである。

次に被告人阿部の検察官に対する昭和二八年一一月一〇日付供述調書、同被告人の原審(第四回公判)及び当審における供述、証人江戸千代士の原審における供述を綜合すると、被告人阿部は五月一八日午前一時過頃援護局庁舎西端出入口附近で宇野次長に対し、中島輝子は帰国者が預り寮内に宿泊するようになつたとの趣旨のことを伝えていることを認め得るのである。そして同被告人は、中島が寮内に宿泊することを知るに至つた経緯につき、原審においては右庁舎西端出入口附近で江戸千代士から小松達は中島と一緒に寮に泊ることになつたことを聞知したと述べ、当審においては前同所において今野一男から中島は吾々帰国者が引受け一緒に寝るとのことを聞知したと述べ、その供述に一貫性を認め難い上他にこれを認めるに足る証拠が存在しないばかりでなく、証人江戸千代士、同今野一男の原審及び当審における各供述と対比すると、被告人阿部の右の各供述は輙く措信し難く、従つて被告人阿部は原判決の説示するが如く食堂を立ち去つた後江戸から伝えられて中島輝子が本件当夜被告人小松と共に寮内に宿泊するであらうことを認識するに至つたものとは認め難いのである。

(三)  原判決の説示する前記(ハ)の点について考察するに、原審証人木下清一に対する尋問調書、同平岸隆、同吉岡幸成、同津島一江、同石黒尚の原審における供述、当審証人津島一江、同吉岡幸成に対する各尋問調書を綜合すると、原判示五月一八日午前二時頃木下清一外二名の援護局職員が第二寮六区室において中島輝子を発見し、同女を連れ戻そうとした際被告人小松、今野一男が交々被告人阿部の諒解を得なければ中島を渡せないと拒否する態度に出たばかりでなく、木下清一等が右六区室から中島を伴い庁舎宿直室附近に至るまでの間、被告人小松は中島の腕を抱えて追尾し、右宿直室附近で庶務係長吉岡幸成等に対し重ねて阿部の許しがないと中島を渡せないと執拗に同女の引渡しを拒否したが、被告人阿部が既に宿舎に帰つたことを知らされるや、同日の次長との交渉に際し、中島を立会わせることを保障するよう要求していることを認め得るのである。そして、以上の事実と被告人阿部の前記検察官に対する昭和二八年一一月七日付供述調書、証人今野一男の原審及び当審における供述、証人芳賀沼忠三の原審における供述、証人江戸千代士、同青木証人の各当審における供述を綜合し、更に被告人阿部が前説示の如く中島が寮内に宿泊することを宇野次長に伝えており、然も被告人阿部の供述するが如き経緯によつて右事実を知るに至つたとは認め難い点をも併せ考えると、被告人阿部は被告人小松、今野一男、江戸千代士、芳賀沼忠三外数名の帰国者等と中島輝子を寮内に抑留することを謀議していたが故に、被告人小松等が執拗に前説示の如き態度に出たものであり且中島の抑留の目的は援護局との交渉に立会わせることにあつたことを推認し得るのであつて、たとえ被告人阿部が大会場及び食堂において原判決説示の如き行動をとつていたこと及び大学教授としての地位等から大会場及び食堂を通じ、帰国者、来賓のみならず、中島輝子からも特殊な存在と見られ、その発言も大いに説得力があつたとしても、それのみによつて被告人阿部自身の気持にかかわりなく、被告人小松、今野一男等が前示の如き態度に出たものとは、にわかに認め難い。

また原判決は被告人阿部が中島輝子の寮内宿泊について、被告人小松等と意思の連絡があり、共謀していたと推定される旨の検察官の主張を排斥するに当り、食堂における中島輝子に対する調査は大会の決議に基くものであり、大会の終了に伴つて調査も打切られた経過に徴すれば被告人阿部が調査の打切によつて自己の任務は終了し、爾後の処理は帰国者代表の手によつてなさるべきであると考えた旨の被告人阿部の供述も亦一応の合理性が認められ、それ故にこそ被告人阿部は自己が旅館に帰るについて被告人小松、今野一男に何らの連絡をもしなかつたとも解せられると説示している。成程被告人阿部が中島の調査に参加するに至つたのは大会の決議に基くものではあるが、後に第六、において説示する如く、被告人阿部は主導的立場に立つて帰国者の代表等と共に中島輝子を食堂に抑留監禁したものであり、特に同被告人は中島のメモを宿所に持帰えり、同女の問題について翌朝における援護局との折衝に備えていることが窺われ、現にその交渉に主役として加わり本件に関する調査の結果を三団体宛に送付すべきことを要求しているのである。また帰国者大会も中島に対する調査及び今後の援護局との折衝は調査員に一任して解散していることは前説示のとおりである。してみれば、食堂における調査を打切つたことにより直ちに被告人阿部が自己の任務は終了し、爾後の処理は帰国者の代表の手によつてなさるべきであると考えたとは容易に認め難く、要するに原判決が右の如く認定したのは後に第六、において説示する如く、被告人阿部が主導的立場に立つて帰国者等を指導していた事実を誤認したことに基因するものと推認せられるのである。

尤も原審証人木下清一に対する証人尋問調書、同今野一男の原審における供述にはれば、被告人小松、今野一男は被告人阿部が援護局庁舎宿直室に宿泊しているものと考えていたことが窺われ、従つて被告人小松が原審及び当審において供述するように、同被告人が宿直室に宿泊することが許されたと報告したことも一応首肯し得ないではないが、当審証人中島輝子の供述によれば、被告人小松が原審及び当審において供述するように、中島輝子が宿直室に宿泊することを肯じなかつたため、同女を寮内に宿泊させるに至つたものとは認め難く、また前説示のとおり被告人阿部が原審及び当審において供述するように、中島が寮内に宿泊することは、江戸又は今野から聞知したとも認め難いこと、その他当審証人青木正一、同江戸千代士、同今野一男の当審、原審証人芳賀沼忠三の原審における各供述を綜合すれば、中島輝子を寮内に宿泊させることは被告人阿部を含む調査員全員の間において協議決定されており、江戸千代士は被告人小松に対し中島のことを依頼して被告人阿部と共に食堂を立去つていることが窺われるのである。従つて、被告人小松が宿直室に宿泊を許されたと報告し、被告人小松及び今野一男が被告人阿部は宿直室に宿泊しているものと考えていたとしても、そのことは未だ前記認定を左右するものではない。なお被告人阿部が旅館に帰るについて、被告人小松、今野一男等に連絡しなかつたのは原判決説示のとおりであるが、証人江戸千代士の当公廷における供述によれば、被告人阿部は食堂を立去つた後江戸に誘われ、宇野次長の車に同乗して旅館に帰つたことが認められるのであるが、同被告人がこのことを被告人小松等に連絡することを必要とする事情のあつたことは、本件の証拠上これを認め難いところであるから、同被告人が、被告人小松等に何らの連絡をしなかつたとしても、これ亦毫も前段の認定に影響を及ぼすものではない。

(四)  更に原判決説示の前記(二)の点につき考察するに、被告人阿部の検察官に対する昭和二八年一一月七日付供述調書中原判決の指摘する「中島輝子を寮内に宿泊せしめるについては、大会の決議により翌朝援護局側と交渉するまで同女を寮内に留めて置くことに定められたため、被告人阿部は右の決議に従うよう帰国者調査員に指示した旨」の供述記載部分の信憑性について検討するに、同供述調書には原判決の指摘するが如く被告人阿部自ら宇野次長に対し中島の問題を報告した旨の誤つた事実の供述記載の存することも認め得るのであるが、前記供述部分を前示証人高橋善之介、同渡辺武雄、同副島富士枝の各原審における供述と対比して考察すると、前説示の如く帰国者大会に中島の問題を如何にするかを諮つたところ、徹底的に調査の上今後かかる事態の発生をしないよう援護局と交渉するようとの意向であつたため、大会の意向としては援護局と交渉するまで中島を解放することは不賛成と解し、被告人阿部において右の如き供述をなすに至つたものと推認せられるのであり、また被告人阿部が検察官に供述するが如き指示を与えていたが故に、被告人小松等が前説示の如く執拗に中島の引渡しを拒否する態度に出たものとも解せられるのであつて、右供述記載部分は何ら根拠のないものとは認め難いのである。

然るに原判決は、同被告人の右の供述は帰国者等を庇護しようとし、意識的に自らを本件の主導的立場において供述する趣旨においてなされたと認めるのが相当であり、これを本件の有力な証拠とすることはできないとしているのであるが、被告人阿部が帰国者等を庇護する必要のあつたものとは本件の証拠上これを認め難いところであり、畢竟後に説示するが如く、被告人阿部が主導的立場に立つて帰国者等を指導していたことを誤認したがために右供述部分の価値判断を誤るに至つたものと認められるのである。

然らば、原判決が中島輝子を六区室に抑留監禁するについて被告人阿部が共謀していることを否定したのは事実を誤認したものというの外なく、右の誤認が原判決中被告人阿部に関する部分に影響を及ぼすことは明らかであるから、この点の論旨は理由があり、原判決中被告人阿部に関する部分はこの点において破棄を免れない。

第二、論旨第一の二の(一)ないし(三)、同第三の一、及び二の(一)(二)について、

所論によれば原判決は「行為の違法性はこれを実質的に理解し、社会共同生活の秩序と社会正義の理念に照し、その行為が法律秩序の精神に違反するかどうかの見地から評価決定すべきものであつて若し右行為が健全な社会の通念に照し、その動機、目的において正当であり、そのための手段方法として相当とされ、又その内容においても行為により保護しようとする法益と行為の結果侵害さるべき法益とを対比して均衡を失わない等相当と認められ、行為全体として社会共同生活の秩序と社会正義の理念に適応し法律秩序の精神に照して是認できる限りは、仮令正当防衛、緊急避難ないし自救行為の要件を充さない場合であつても、なお超法規的に行為の形式的違法の推定を打破し犯罪の成立を阻却するものと解するのが相当である」(記録二、四九二丁)との基準を立て、その実質的違法性論を本件に具体的に適用するについて、被告人阿部、同小松等の食堂における行為は、「その目的が帰国者等の思想表現の自由に対してなされた侵害を回復する手段を発見し、併せて将来予想される同種の侵害を防止する対策を講ずるため不審の点をたゞして疑惑を闡明しようとするものであり且つその手段としての質問は終始説得的で暴力を振うことなく、ただ中島が右いずれの場所においても殆んど自発的な応答をしなかつたため抑留の時間が延引し、しかも中島が同僚から依頼されて大会場に残留し且メモをしていた旨述べて後間もなく調査を打切つた事実の経過を併せ考えるならば、その目的において正当であり、手段方法も亦相当と認められ、その内容としての抑留もそれにより中島輝子に対し加えられた身体の自由の侵害は、同女によつて帰国者等が受けた集会、結社、思想、表現等の自由の侵害の程度に比し未だその程度を超えるものとは認め難く全体として相当と認められるからヽヽヽヽ右の行為は正当防衛、緊急避難ないし自救行為のいずれにも該当しないけれども前記実質的違法性判断の基準に照し現在の法律秩序の精神に違反せず是認される行為と認められ、右の限度において帰国者等及び被告人両名の行為の違法性を阻却するものと解すべきであつて、その根拠は窮極するところ刑法第三五条にこれを求めるのが相当である」(記録二、四九三丁)と為し、要するに実質的違法性論の見地において被告人両名の食堂における中島に対する抑留監禁の行為をもつて、その目的における正当性、その手段方法の相当性及びその内容の法益均衡性から実質的に違法性を阻去せらるべきものと判断しているのであるが、その実質的違法性論を適用するについてその前提となるべき事実として、原判決が行為の目的、手段及び内容となすものについてそれぞれ事実の誤認があり、その結果実質的違法性阻却の要件の具体的法律判断を誤り、総体的に実質的違法性論の具体的適用を誤つているものであつて、要するに刑法第三五条の適用を誤つているのである。また原判決は「同女(中島輝子)によつて帰国者等が受けた集会、結社、思想、表現等の自由の侵害」と摘示しているが、その表現の趣旨によれば、原判決は憲法第一九条及び第二一条を基礎として帰国者等が右の自由の侵害を受けたと判断しているものと見る外はないのであるが、これは憲法第一九条及び第二一条の解釈を誤つたものであり、以上の誤りは何れも原判決に影響を及ぼすこと明らかな場合に該当すると主張する。

よつて右所論に基き場合を分ち、順次その当否を判断することとする。

一、実質的違法性阻却の基準、要件に関する解釈の誤りの有無について、

按ずるに刑罰法上構成要件該当行為であつて、刑法第三五条前段の法令による行為、第三六条の正当防衛、第三七条の緊急避難に該当しない場合においても、刑法第三五条の趣旨に照らし正当行為とせられる場合の存することはこれを認めなければならないのであるが、如何なる場合にその行為の違法性を阻却せられ実質的に正当と認め得るかは、個々の行為につき一切の情況を審にした上、その行為により達せんとした目的、その目的のための手段方法の相当性特に当該の具体的情況に照らしその行為に出ること以外に、他に手段方法がなかつたか否か、防衛をうける法益と防衛行為によつて侵害せられる法益につき、その性質、価値、侵害の程度等を具体的に比較検討の上、両者の間に権衡を失しないか否か等諸般の事項を個々の行為の情況に即し、その必要とせられるものについて考慮し、法秩序全体の精神に基いて是認せられるか否かにより決する外はないのであるが、畢竟個々の行為を離れて画一的にその要件を挙示することはできない。

此の点原判決が行為の違法性を実質的に理解し、その行為が社会共同生活の秩序と社会正義の理念に照らし、法律秩序の精神に違反するかどうかの見地から評価決定すべきである旨説示していることは、その限りにおいては正当であつていささかも非難の余地は存しない。

次に実質的違法性阻却の判断の基準として、その行為が健全な社会の通念に照らし、その動機、目的において正当であり、そのための手段方法として相当とされ又その内容においても行為により保護しようとする法益と行為の結果侵害さるべき法益とを対比して均衡を失わない等相当と認められ、行為全体として社会共同生活の秩序と社会正義の理念に適応し、法律秩序の精神に照らして是認できる限りは、仮令正当防衛、緊急避難ないし自救行為の要件を充さない場合であつてもなお超法規的に行為の形式的違法の推定を打破し、犯罪の成立を阻却するものと解するのが相当であるとしている点について考察するに、原判決が前記判断の基準として健全なる社会の通念に照らし、その動機、目的において正当であり、そのための手段方法として相当とされ、又その内容においても行為により保護しようとする法益と行為の結果侵害さるべき法益とを対比して均衡を失わない等相当と認められることの三個の基準を挙げていることは行為の実質的違法性阻却事由の有無を判断するについて考慮することを要する極めて有力な不可缺的基準を示したものであり、右の基準によつて違法阻却事由の存在することを説明し得る場合の存することはこれを否定し得ないとしても、かかる基準に適合する限り、たとえ正当防衛、緊急避難ないし自救行為の要件を充さない場合においても、なお超法規的に行為の形式的違法の推定を打破し、犯罪の成立を阻却するものと解するのが相当であるとしている点については、にわかにこれを是認し得ないのである。蓋し、急迫不正の侵害又は生命、身体自由等に対する現在の危難の存する場合においてさえこれに対する防衛又は避難行為が正当防衛又は緊急避難として違法性を阻却されるためには、その行為が已むことを得ざるに出でたる等厳密な要件の定められていることは、刑法第三六条第三七条の規定に徴し明らかであり、しかもこれらの規定が緊急已むことを得ない場合の例外規定であることを併せ考えると、たとえその態様において正当防衛又は緊急避難に近似する場合においても、急迫の侵害又は現在の危難というが如き緊急性の要件を缺く場合に、これに対し実力行動によりなされた防衛的又は避難的行為につき違法性の阻却される場合を認め得るとしても、それは極めて特殊例外の場合であつて濫りにこれを認め得ないことは勿論、そのための要件は正当防衛又は緊急避難の場合に比し、一層厳格なものを要するものと解すべきは当然であつて、その行為の目的の正当性、法益権衡等の要件を具備する外特にその行為に出ることがその際における情況に照し緊急を要する已むを得ないものであり、他にこれに代る手段方法を見出すことが不可能若しくは著しく困難であることを要するものと解するのが相当である。

ところで原判決の手段方法の相当とするものの内実を観るに、原判決が本件において、食堂における監禁行為自体についてその必要性の有無を判断することなく、単に監禁中に行われた調査質問行為についてのみ相当性の有無を判断している点から推すと、原判決の手段方法の相当とするものには前説示の如き手段方法自体の必要性ないし情況上の相当性は考慮せられていないものと認めざるを得ないのである。してみると、原判決説示の如き基準に適合することをもつては未だ正当防衛又は緊急避難等の要件を充さない行為につき、違法阻却事由の存するものとは認め難く、従つてまたかかる基準に適合するのみではその行為が法律秩序の精神に適合するか否かをも判定し難いものというの外なく、畢竟原判決はこの点において所論の如く実質的違法性の判断に関する解釈を誤つているものといわねばならない。

二、実質的違法性論を適用する前提となるべき事実の誤認及び実質的違法阻却の要件の具体的法律判断の誤りの有無

(一)、目的に関する事実の誤認及びその正当性の判断の誤りの有無について、

所論によれば、原判決は本件食堂における監禁は帰国者の思想表現の自由に対しなされた侵害を回復する手段を発見し、併せて将来予想される同種の侵害を防止する対策を講ずるため不審の点をただして疑惑を闡明しようとするものであつて、その目的において正当であるとしているのであり、原判決がその目的を正当であると断定するについては「帰国者及び被告人両名が中島輝子を目して官憲のスパイと信じたことは当然であり、その点何等の過失をも認め得ない」(記録二、四九〇丁)とする原判決の判断がその根底にあるものと考えられるのであるが、然し中島輝子はスパイではなく、被告人等が同女をスパイと誤信したのは過失によるものであり、この点原判決には重大な事実の誤認があるものといわねばならない。従つて中島をスパイと信ずるにつき過失のある以上その目的を正当とはなし得ない。しかも原判決は「帰国者の思想表現の自由に対しなされた侵害を回復する手段」といい或は「将来予想される同種の侵害を防止する対策」といい右自由に対する侵害を前提として目的を論じているのであるが、中島はスパイではなく、被告人等が過失によつてスパイと誤信したために、右の如き侵害なきに拘らず、侵害を回復する手段を発見し、侵害を防止する対策を講ずるという一方的主観的目的を生じたに過ぎないのであつて、中島を監禁して調査するという目的を正当となす余地はないと主張する。

よつて按ずるに、原判決が所論の如く本件食堂における監禁はその目的において正当であり、被告人等が中島輝子を官憲のスパイと信じたのは当然であり、何らの過失も認め得ないとしていることは原判決によつて明かである。そして原審証人中島輝子に対する第一回尋問調書、同中島輝子(第六、第八、第二九、第三〇回各公判調書)、同宇野末次郎(第四回公判調書)、同芳賀沼忠三、同藤崎龍圓(各第一七回公判調書)、同栃尾清一(第二九回公判調書)、被告人小松(第三五回公判調書)の各原審公廷における供述、被告人阿部の検察官に対する昭和二八年一一月七日付供述調書、当審証人宇野末次郎の当公廷における供述を綜合すると

(イ) 中島輝子は本件当時満蒙同胞援護会の推薦に基き、援護局の非常勤(無給)職員に採用され、同局相談室に勤務し元満鉄職員に対する手当の支給等に関する事務を担当していたものであつて、同女は第一次の帰国者であつたためその後の中国事情を聞きたいとの個人的関心を持つていたこと、これを聞くことにより執務上の参考にも資したいと考え、勤務時間終了後帰国者大会を傍聴するに至つたものであつて、同女は帰国者等の思想調査その他帰国者等の思想、表現等の自由を侵害するが如き特殊の使命を帯びた官憲のスパイではないこと、

(ロ) 中島輝子は援護局の施設内において開催され、当初は同局員にも公開していた大会場に、他の局員と共に入、非公開宣言後もそのまま残留していたものであること、

(ハ) 中島輝子は援護局職員用の腕章を所持しており、大会の席上メモをとる等の行動をとつていること、

(ニ) 演壇前に突き出されて後、中島が容易に返答しなかつたのは、大衆の激昂と怒号裡における烈しい追及により、恐怖状態とそれに引続く虚脱状態に陥つたことによるものと認められ、この状態は外部からも或る程度確認されていたこと、

(ホ) 本件の帰国者大会は宇野次長と被告人阿部及び帰国者十数名との間において成るべく非公開にしない程度の話合いがあつたこと、

をそれぞれ認め得るのであるが、所論の如く中島輝子以外の援護局員が帰国業務遂行の必要上寮内を往来し、帰国者につき中国残留者の氏名、人員、残留場所等を調査していた事実はこれを確認するに足る証拠は存しない。

他方原判決挙示の証拠によれば原判示の如く

(ヘ) 帰国者は、官憲による思想調査、中国軍事情報調査を嫌悪警戒していたこと、

(ト) 中島輝子が大会の非公開宣言後も会場に残留しているうち、帰国者の一人に発見され、附近の帰国者数名に取り囲まれ、身分や退場しない理由を詰問されるや、その場を逃げ出そうとしたこと、

(チ) 中島が演壇前に突き出された後、帰国者の中から、同女が同夜会場でメモをとつていたことや、以前にも局内を徘徊し、時には寮内で帰国者の談話を筆記する等の疑わしい行動をとつていた旨の発言がなされたため大会会衆は次第に同女の身分、行動等に疑惑を深めたこと、

(リ) 演壇前において司会者、総代表等も中島にその姓名、身分、退場しなかつた理由等を尋ね、メモの提出を求めたのに、同女はこれに全く返答せず、ズボンのポケツトに両手を入れ紙片を揉み破るような仕草を続けたこと、

(ヌ) 中島のズボンポケツトには援護局員であることを表示する腕章、メモ等が入つており、右のメモには被告人阿部の講演や今野一男の報告内容の一部が記入されていたほか、中国における抑留戦犯の氏名等を調査したと認められる種々の記載があつたことを認め得るほか、司会者が大会を非公開で行うことを宣言したため傍聴していた援護局職員十数名は会場を立去つたが、司会者においてはなお念のため、帰国者、来賓以外の者が引続き残留していた場合には如何なる事態が発生しても、大会において責任を負わない旨の警告を発していることを肯認し得るのであつて、これらの事実を綜合して考察すると所論の指摘する(イ)乃至(ホ)の事実ならびに直接中島を追及する以外に何等の調査をしなかつた点を参酌しても、帰国者及び被告人等が中島を官憲のスパイではないかと誤信するにつき過失があつたものとは断じ難く、この点につき原判決には所論の如き事実誤認の存するものとは認め難いのであつて、この点に関する事実誤認の論旨はその理由がない。

然しながら、中島輝子はスパイではなく、従つて同女の所為により帰国者等が思想、表現の自由を侵害せられたとは認め難いこと後に(三)(2)に説示するとおりであるから、たとえ帰国者及び被告人両名等が中島をスパイと誤信した結果その侵害なきに拘らず、思想表現の自由に対しなされた侵害を回復する手段を発見し、併せて将来予想される同種の侵害を防止する対策を講ずるため、同女を監禁して不審の点をただして疑惑を闡明しようとすることは、被告人等の主観的認識に従えば責むべき点なしとするも、その目的において正当となす余地は存しない。従つて原判決が食堂における監禁につき、その目的において正当であるとしているのは、目的の正当性の判断を誤つているものといわねばならない。

(二)、手段方法に関する事実誤認及び手段方法に関する判断の誤りの有無について。

所論は要するに本件において、実質的違法性の有無を判断する一要件としての手段方法の相当性は、いわゆる調査質問のため監禁という手段をとつたことが相当であつたか否かを問題とすべきであるに拘らず、原判決は監禁中に行われた調査質問自体の相当性を手段方法の相当性の問題として取上げているのであつて、原判決はこの点において手段方法の相当性の判断の対象を誤つているばかりでなく、原判決のいわゆる手段方法とされるものに重大な事実の誤認があり、それが相当であると認める根拠は全く存在しないというに帰する。

よつて審究するに、原判決が前説示の如き目的の下に被告人等が中島輝子を食堂に抑留して監禁状態においたことを認めていることは原判決により明らかである。してみれば、食堂における監禁の所為につき実質的違法性の有無を判断する一要件としての手段方法の相当性の判断は、中島輝子を食堂に監禁した行為自体についてなすべきは当然であつて、監禁中に行われた調査質問行為を対象となすべきでないこと正に所論のとおりである。然るに原判決は、その手段としての質問は終始説得的で暴力を振うことなく云云、しかも中島が同僚から依頼されて大会場に残留し且メモをしていた旨述べて後間もなく調査を打切つた事実の経過を併せ考えるならば、その手段方法も亦相当と認められると判示し(記録二、四九三丁)、監禁という手段をとつたことが相当であつたか否かについては何等の判断をしていないことも原判決によつて明らかであり、この点原判決は手段方法の判断の対象を誤つているものというべきである。

よつて進んで、中島を食堂に監禁した行為自体が本件の場合同女を調査するための手段方法として相当であつたか否かを考察するに、前説示のとおり中島は非公開宣言後大会場に残留していることを帰国者の一人に発見されたのであるが、その頃には既に総代表今野一男の経過報告の筆記を中止していたことは前示原審証人中島輝子に対する尋問調書により明かであり、また原判決挙示の証拠によれば、帰国者等も中島を発見した当初は単に同女の不退去の事実を認識したに過ぎないことを認め得るのであつて、従つて中島が発見された後は、同女の帰国者等に対する法益侵害行為は、大会場から不退去の事実が継続しているに止り、これに対する防衛行為としては、同女に退去を命じ又はこれを強制し得るに過ぎないと解すべきこと原判決説示のとおりである。そして中島輝子の所為により帰国者の思想、表現等の自由が侵害せられたと認め難いこと後に(3)において説示するとおりであるから、たとえ帰国者及び被告人等において、中島輝子の所為により右の自由を侵害せられたものと誤信したとしても、同女を前示の如き目的の下に食堂に監禁することは固より正当防衛又は緊急避難に該当するものとは認め難く、従つてまた右監禁の所為をもつてその目的のための相当の手段方法として違法性を阻却するものとは認め難いのである。然し、仮に中島輝子の所為により帰国者等の思想、表現等の自由が侵害せられたとしても、同女を食堂に監禁することが、正当防衛又は緊急避難等に該当しないことはこれ亦原判決説示のとおりであるから、かかる要件を具備しない本件食堂における監禁の所為につき違法性を阻却される場合があり得るとしても、それがためには本件の具体的情況に照し、その行為に出ることが緊急を要する己むを得ない行為であつて他にこれに代る手段方法を見出すことが不可能若しくは著しく困難であることを要することは前説示のとおりである。

そこで、帰国者等の右の如き自由が侵害せられたとの前提の下に本件の場合右の如き要件が具備されていたか否かを検討するに、食堂において中島輝子の調査を開始する以前に同女の所持していた前説示の援護局職員であることを表示する腕章及びメモ等が帰国者等に取上げられていることは原判決の認めているところであつて右の事実と被告人阿部の当公廷における供述を綜合すると、食堂において中島の調査を開始する以前から帰国者及び被告人等は同女を援護局職員と推定していたものと認められるのである。また原審証人一色政雄(第一七回公判調書)、同津島一江(第七回公判調書)の原審、被告人両名の当公廷における各供述によれば、中島の調査を開始した頃援護局に大田総務部長、一色業務部長以下の幹部職員が残留しており、被告人両名も当時援護局幹部職員が未だ残留しているであらうことを察知していたことを肯認し得るのである。そして以上の事実を前提として考えると、本件の場合中島を一旦援護局側に引渡し同局幹部職員立会の下に不法に亘らざるよう留意しながら中島から事情を聴取することも可能であり、或は極めて少数の婦人調査員の手により穏かに事情を尋ねる等他にとるべき手段方法がなかつたとは認め難いばかりでなく、被告人阿部は原判示の如く午後一〇時三〇分頃宇野次長登庁の報をうけているのであり、原審証人副島士枝、同小林吉四郎((各第一四回公判調書)、被告人小松の各原審公廷における供述、当審証人中崎輝子に対する尋問調書、当審証人青木正一の当公廷における供述を綜合すると被告人阿部が宇野次長登庁の報をうけた頃には、既に中島は藤崎龍圓に頼まれ大会場に残留していた旨調査員に告げていることを認め得るのであるから、直ちに宇野次長立会の下に中島問題の調査を進めることも可能であつたと認められるのであつて、本件の場合原判示の如く帰国者等が帰郷を翌日に控えていたという特殊の事情を考慮しても、中島について調査するため同女を監禁することが緊急を要する唯一不可欠の手段方法であつたとは到底認め難く、従つて同女を食堂に監禁したことは仮にその目的が正当であつたとしても、その目的のための相当の手段方法とは認め得ないのである。然らば何れの点からしても原判決は手段方法の相当性の判断を誤つているものといわねばならない。従つて、所論のうち原判決が監禁中における調査質問行為が相当であるとしている点につき事実誤認がある旨の主張については判断を省略する。

(三)、憲法第一九条、第二一条の解釈適用の誤り及び内容(法益侵害)に関する事実誤認並に法益権衡に関する判断の誤りの有無について、

原判決は前示の如く「その内容としての抑留もそれにより中島輝子に対し加えられた身体の自由の侵害は、同女によつて帰国者等が受けた集会、結社、思想、表現等の自由の侵害の程度に比較し未だその程度を超えるものとは認め難く全体として相当と認められる」と判示しているのであるが、この点につき所論の如き誤りがあるか否かを順次判断する。

(1) 中島輝子に加えられた侵害の如何を検討するに、

(イ) 中島は被告人阿部のため右腕をとらえて大会場から食堂え連行されていること

右の事実は原審証人中島輝子(第一回尋問調書、第六、第二六、第二九回各公判調書)、同栃尾清一(第二八回公判調書)の原審及び当審証人青木正一の当公廷における供述、当審証人中島輝子に対する尋問調書を綜合してこれを認める。この点原判決は、被告人阿部が何等の強制力を加えず中島を食堂え誘致した旨認定しているのであるが、原判決が右認定に供している証拠は前記各証拠と対比すると輙く措信し難く、原判決の右認定は事実を誤認しているものといわねばならない。

(ロ) 中島は午後九時頃から翌日午前二時頃まで食堂及び第二寮階下六区室に抑留監禁をうけていること、

右の事実は原判決の認めるところであり、六区室における監禁について被告人阿部が共謀していることは前説示のとおりである。

(ハ) 監禁中に行われたいわゆる調査のための質問において大衆七百名の威力を背景として執拗に、しかもしばしば脅迫的言辞により義務なき自白を強要されたこと、右の事実の中、原判決は「同大会は…帰国者約七百名が参加し」(記録二、四七〇丁裏)、「大会帰国者は中島が政府当局の命を受けて大会に潜入し帰国者の思想ないし動静を調査していた者と確信して激昂し同女を徹底的に調査すべきであるとしてヽヽヽヽ被告人両名を含む来賓の同意を得て結局中島に対する調査は大会場東側に隣接する食堂において、帰国者の代表約十名及び被告人両名並に乗船代表の江戸千代士、芳賀沼忠三等によつて行うことに決定された」(記録二、四七二丁)、「隣室における大会は中島に対する調査及び今後の援護局との折衝は調査員に一任すると決議して解散しその旨の連絡もあつたので被告人阿部は間もなく中島の調査を打切ろうと発言し他の調査員もこれに同意して調査は中止されることとした」(記録二、四七三丁)と事実を認定しているのであるが、右摘示以外にも、原判決は、食堂において、若い一人の女性に対し、十数名の男女が周囲を取り巻き、深更に至るまでこれを抑留した上、交々質問した趣旨の認定を為して(記録二、四七二丁裏乃至二、四七三丁、二、四八八丁裏乃至二、四八九丁、二、四九一丁裏)、自白強要の事実を肯認しつつ、他面、次に認定する如く執拗を極め、而も屡々脅迫的言辞を使用して行われた質問の方法に関しこれを否定して、「被告人阿部は、同女に腕時計を示し、肩を叩いて元気付けながら繰り返し説得し」(記録二、四七三丁)とし、或は「質問は終始説得的で暴力を振うことなく」(記録二、四九三丁)としているのである。然し乍ら原審証人中島輝子の供述中「小松、阿部、江戸等から前と同じようにメモの内容等や私の生年月日、氏名等を聞かれました。そしてこれに答えなければ大会も解散しない、明日の引揚列車も出ないとか、出せないとか凄い権幕で江戸より云われました。ヽヽヽヽ阿部さんは最初の頃はそう強く云わなかつたのですが、後になつてから自分の時計をはずしその時計を私に示しながら私の両肩に手をかけ両肩をゆすぶるようにしてこんな時間になつているのにどうして云わないのかと凄い態度に出られました。私は誰に頼まれたわけでもありませんので答えようがありませんでした、ただ最後に相談室の藤崎龍圓さんに会場の模様を聞いてくれと頼まれたと偽りのことを云つてしまいました。ヽヽヽヽ藤崎さんから頼まれて来たと云つても許してもらえませんでした」「食堂に行つてから阿部、小松、江戸さんから主として聞かれました。その聞き方は特別大きな声ではありませんでしたが、烈しい語調で聞かれたので非道いやり方だと思いました」(第一回証人尋問調書)「阿部さんから私が会場でメモをしたことについて他の人から頼まれてやつたことなら罪は軽いがそうでなければ罪が重いというようなことを云われました。ヽヽヽヽ私はその時余り恐かつたので藤崎さんが相談室にいたことを思い出し何の気なしに藤崎さんに頼まれたと云つてしまつたのです」(第六回公判調書)、「一人一人の聞くことが私にとりまして恐いと感じました。ヽヽヽヽ特に乱暴な言葉ではありませんでしたがしきりに云わせようとしたのでそれが私には恐ろしく感じたのです」(前同公判調書)、「一人の人に聞かれるのではなく次から次に色々聞かれましたので時間もかかりましたし、私自身云うべき筋合でないことについては云わなかつたのです」(第八回公判調書)、「阿部さんは肩をゆすぶりながら云わなければ皆が帰れないとか時計をはずして時間も迫つているとか云うことを云われたヽヽヽヽその時の態度は今のような態度とは違つたものだと思います」(第二九回公判調書)等によれば中島に対する質問の方法が前示原判決認定の如く終始説得的で脅迫的ではなかつたものとは認められない。

以上の如く中島照子が長時間抑留監禁せられ執拗に調査質問を受けた結果同女は激しい精神的肉体的打撃を受け、六区室に連行される直前には自殺を決意した程であり、その翌日午前二時頃救出された時には著しい疲労状態に陥り、その後五日間の静養等を余儀なくされたのであり、この事実は、原審証人中島輝子(第一回証人尋問調書、第六回公判調書)、同押田敏一(同人に対する証人尋問調書)、同津島一江、同石黒尚(何れも第七回公判調書)、同吉岡幸成(第八回公判調書)、同佐々木又信(第一〇回公判調書)、同藤崎龍圓(第一七回公判調書)、同下山和子(第二七回公判調書)、同芳賀沼忠三(第一七回公判調書)、被告人小松勝子(第三五回公判調書)の各供述を綜合して認められるのであつて、原判決は、全体として中島輝子に対し加えられた身体的、精神的自由の侵害の程度に関する認定を誤つているものと認められるのである。

このことは仮りに中島に対する食堂内の調査質問行為のみを捉えてみても、被告人等により屡々不法な強制力が行使され、監視者による完全な外部との交通遮断と調査員による身辺監視の方法によりか弱き婦女子を深夜まで抑留し、且つ全く孤立無援の状態に置いて大衆の威力を背景にしつゝ執拗に入り代り立ち替り義務なき自白を強要したものであつて、原判決認定の如き「その手段としての質問は終始説得的」と謂うような生易しいものでなく、このやり方自体が中島の人権を全く無視した強制的脅迫的な方法であつたものと認められるのである。

なお所論は、中島がうけた法益の侵害については、大会場において帰国者等からうけたものを考慮すべき旨主張するのであるが、右は被告人両名又は被告人阿部の関与しないものであるから、右の被害をも考慮すべき旨の主張には同調し難く、従つて中島輝子のうけた法益の侵害は前説示の範囲に限定すべきものと解するのが相当である。

(2) 帰国者のうけた法益の侵害及び憲法第一九条、第二一条の解釈適用の誤の有無について検討するに

原判決は「同女(中島輝子)によつて帰国者等が受けた集会、結社、思想、表現等の自由の侵害」と摘示しているが、その基礎となる法条を示していないこと所論のとおりである。然しながら原判決の表現の趣旨によれば、原判決は憲法第一九条、第二一条の規定を基礎として、帰国者等が右の如き自由を侵害せられたものと認定しているものと解せられるのである。

然し憲法第一九条、第二一条は公共の福祉に反しない限り、立法その他官憲の国務に関する行為によりり、国民の思想、集会、結社、言論その他の表現の自由等を抑圧、制限、禁止等をなし得ない趣旨を規定したものと解せられるところ、本件帰国者大会は帰国者等が原判示の如き共同の目的をもつて開催したものであつて、憲法第二一条にいわゆる集会に該当することは明白であるが、右大会自体共同の目的遂行のために組織された継続的団体とは認め難いから、結社に該当しないことは所論のとおりである。

次に証人高橋善之介、同副島富士枝、同江戸千代士の原審における供述を綜合すれば、本件帰国者大会において今野一男が帰国者等の政府に対する要望に関する交渉の経過報告を行つた後大会は非公開とせられ、今野に対する経過報告に対する質疑応答その他これに関連し今後帰国者等のとるべき措置につき、大衆討議に移つた後、僅に数分後に中島輝子が発見されたことを認め得るのであつて、要するに中島輝子は前説示の如き動機、目的の下に勤務時間終了後大会場に入り、大会が非公開とせられ退場を求められた後も会場に残留し、右の討議を聴取したに止り、同女が官憲のスパイでないこと前説示のとおりである。してみれば、同女の右所為は一私人としての立場において非公開後前記討議を傍聴したという消極的行為に過ぎないのであつて、固より官憲の思想調査その他の行政行為ないし行政事務に該当するものではなく、従つて憲法第一九条、第二一条の規定に違反し、帰国者等の思想、集会、結社、表現等の自由を侵害し、又はこれに脅威を与えたものとは解し難いのである。然し、中島輝子が無給、非常勤の最下級にもせよ公務員たる身分を有するが故に、同女の右所為により帰国者等が非公開で集会を継続し、或は結社を結成する自由その他原判示の如き自由を侵害せられたとしても、同女が非公開後大会を傍聴したのは僅に数分に過ぎない上、証人一色政雄、同宇野末次郎の原審における供述を綜合すれば、当時帰国者等の政府に対する要望事項の内容は援護局当局には既に判明しており、これらの事項を援護局職員に特に秘匿する必要があつたとは認め難い点等を綜合して考察すると、帰国者等のうけた侵害の程度は中島に対し加えられた身体の自由の程度が具体的で甚大であるに比し頗る抽象的で且軽微なものといわねばならない。然るに、原判決が両法益の侵害の程度を具体的に比較検討することなく、唯漠然と両法益の侵害が均衡を保つているものとしたのは、憲法第一九条、第二一条の解釈適用を誤り、延いて帰国者等のうけた侵害法益の有無程度に関する事実の認定を誤り、その結果侵害法益の権衡に関する判断を誤るに至つたものであり、仮に右憲法の解釈適用に誤りなしとするも、右の事実の認定及び判断を誤つたものといわねばならない。

而して以上説示の如く、原判決が中島輝子を食堂に監禁した行為につき、その目的の正当性、手段方法の相当性に関する基準要件の解釈を誤り延いてその具体的判断を誤り、更に憲法第一九条、第二一条の解釈適用を誤り、法益権衡に関する事実を誤認してその判断を誤つた違法は何れも原判決に影響を及ぼすことが明らかであり、これらの点に関する論旨は何れもその理由ありというべく、原判決はこれらの点において破棄を免れない。

第三、論旨第三の五について、

原判決は、検察官の主張に対する判断の部分において「被告人阿部、同小松の食堂における調査質問行為が、監禁の構成要件に該当することから直ちにその違法有責性を推断し、その実質的違法性の検討を怠つた嫌いがあるものと謂わなければならない(記録二、四九四丁裏)と説示し、「調査質問行為が監禁の構成要件に該当する」という見解を示していること正に所論のとおりである。然し乍ら、右の調査質問行為は固より監禁の構成要件に該当する事実ではなく、監禁中に行われた被告人等の行為で単なる事情に過ぎないものであるから、原判決はこの点において明らかに刑法第二二〇条第一項の解釈を誤つているものというべきである。そうして原判決は右の誤つた見解を前提として、既述第二の二の(二)に詳述した如く食堂における行為の手段方法の相当性を判断するについてその対象が監禁行為自体であるに拘わらず、これを調査質問行為と誤り、実質的違法性なしと判断する一根拠となしているのである。従つて右法令の解釈適用の誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであつて、此の点論旨はその理由があり、原判決はこの点においても破棄を免れない。

第四、論旨第一の一、第三の二の(三)及び第三の三について

一、食堂及び六区室における各抑留の一貫性に関する事実誤認の主張について、

所論に基き原判決を精査検討すれば、原判決は或個所においては食堂及び六区室における抑留は一連の監禁の構成要件に該当するものとして恰も一個の監禁罪を構成するものの如き表現をとつてはいるが結局中島輝子に対するいわゆる調査の終了により食堂における監禁は終了し六区室における同人に対する監禁は別個の主体により謀議された別個の犯罪なりと認定し、此の認定に基き食堂及び六区室における各抑留のそれぞれにつき違法性の有無に関する判断を加え、食堂における監禁は実質的違法性を欠き、六区室における監禁は許容される相当の程度を超え、違法性を具有するものではあるが、違法阻却事由の過剰行為と認定して居り、又食堂における監禁と六区室における監禁は別個のものであることを前提として、被告人阿部に対し、六区室における監禁について同被告人の刑事責任を問い得るために必要とされる実行々為の分担乃至共同正犯の成立に必要な謀議が認められないとして無罪を言渡し、被告人小松に対しては、六区室における同被告人の所為は前記の如く違法性阻却事由の過剰行為であること、抑留の時間は一時間であること、その間中島輝子に対し脅迫等を加えた事実はなく却つて就寝を促す処置をとつた等の理由を掲げ、刑法第三六条第二項の規定を準用し刑を免除していること正に所論のとおりである。

ところで食堂及び六区室における各抑留が一貫性を有するか否かを検討するに、原判決が本件事件発生の経緯及び罪となるべき事実認定のため挙示する証拠及び当審証人青木一、同今野一男、同江戸千代士、同押田敏一、同木下幸彦の各当公廷における供述、当審証人中島輝子、同下山和子に対する各尋問調書等を綜合すれば、

(一)  抑留の客体は終始中島輝子一人であつたこと。

(二)  抑留の時間は午後九時頃から翌日午前二時頃まで終始断続して居り、その間中島は全く自由行動を許されなかつたこと。

(三)  抑留の場所は第二寮階上の食堂及び同寮階下の六区室において行われたもので、単に抑留の場所を同じ建物の階上から階下に移したに過ぎないこと。

(四)  抑留の目的は、原判示の如く食堂における場合は、中島につき氏名、住所、年令、経歴、身分、大会に入場した理由、メモ帳に記載された事項の内容、これを筆記した理由等を調査するためであり(記録二、四七二丁裏)、六区室における抑留は、右の調査の結果に基き援護局側と折衝するに際し、中島をこれに立ち合わせるためその身柄を確保することを目的としており(記録二、四七四丁)、いずれも要するに、帰国者の思想、表現の自由を侵害されたものとして、これを回復する手段を発見し、併せて将来予想される同種の侵害を防止する対策を講ずるためのものであつて両者は不可分的に一貫したものであつたこと、

(五)  抑留の態様は食堂においては帰国者が監視に立ち、被告人両名、今野一男その他の前記抑留の実行行為者が中島の身辺を取囲み、六区室においては被告人小松、下山和子が中島の後方に横になり、帰国者数名が同女を監視し、或は被告人小松等が同女につきまとつて全く同女の自由を許さない方法で行われたこと、

(六)  抑留の主体としては、被告人小松、今野一男、下山和子その他数名の帰国者が終始食堂及び六区室における抑留の実行行為者であること、被告人阿部、江戸千代士、芳賀沼忠三外数名の帰国者が右被告人小松等と共に食堂における抑留に当つたことを認め得るのであり、被告人阿部、江戸千代士、芳賀沼忠三等も六区室における抑留につき被告人小松、今野一男、下山和子その他帰国者数名と共謀を遂げていることは第一に説示のとおりであつて、食堂及び六区室における抑留の主体は終始同一であることが明白である。

そして以上の事実を綜合して考察すると、食堂及び六区室における各抑留は、終極的には同一の目的遂行のために同一の客体に対し継続して行われた一個の監禁罪の各部分をなすものであつて、これを分割して観察すべきものではなく包括的に全体として一個の監禁罪を構成するものと認めるのが相当である。然らば原判決は食堂における調査の終了により食堂における監禁は終了したものと認めている点において事実を誤認しているばかりでなく、六区室における監禁はその後別個の主体によつて謀議されたものと誤認していること第一に説示のとおりであり、その結果原判決が食堂における監禁と六区室における監禁を別個のものと認めていること原判決によつて明らかである。よつて右の事実誤認の結果原判決が所論の如く刑法第三五条の適用を誤り、同時にまた同法第三六条第二項の規定を準用するの誤りを犯しているか否かを順次判断する。

一、論旨第三の二の(三)刑法第三五条の解釈適用の誤のうち、違法性の判断方法に対する誤について、

原判決は食堂における監禁については違法性なしと認め、六区室における監禁については違法性を具有することを認めながら、被告人阿部は後者については共同正犯の関係に立つことが認められないとして同被告人に無罪の言渡をしていることは前説示のとおりである。

然しながら、食堂及び六区室における各抑留を一個の監禁罪を構成するものと見る限り、違法性の有無の判断はその全体につき不可分的になすべきは当然であつて、六区室における監禁にして違法性を有するものと認める以上食堂における監禁についても違法性なしとなし得ない筋合である。然るに原判決が六区室における監禁については違法性を有するものと認めながら、食堂における監禁については違法性を欠くと判断したのは、食堂における監禁は調査の終了に伴い終了し、六区室における監禁はその後別個の主体により新な謀議に基き実行されたものと事実を誤認し、一個の監禁罪を二個に分割した結果に外ならないと認められるのであつて、右の事実誤認は延いて違法性の判断方法を誤り刑法第三五条の解釈適用を誤る結果を招来し、このことが被告人阿部に無罪を言渡す事由となつているのであるから、右の事実誤認は原判決中被告人阿部に関する部分に影響を及ぼすこと明かといわねばならない。この点の論旨はその理由があり、原判決中被告人阿部に関する部分はこの点においても破棄を免れない。

二、刑法第三六条第二項の解釈適用の誤りありとの主張について、

原判決は被告人小松の六区室における所為について、「被告人小松の右の所為はヽヽヽヽ中島輝子の違法な侵害行為に対し、その侵害回復の手段と将来の対策を講ずるため疑惑を闡明しようとして開始された帰国者等の調査行為に加担した結果、その程度を超えて惹起されたものであるから、同法第三六条の正当防衛の要件を充すものではないけれども、なお同法条第二項の趣旨を準用して責任を定めるのが相当と解する」(記録二、四九五丁裏)としていること所論のとおりである。

そして所論の如く、仮に正当防衛の要件を充さない違法阻却事由の過剰行為に対し原判示の如く刑法第三六条第二項の規定を準用し得るとしても、前説示の如く六区室における抑留監禁の行為は、食堂における抑留監禁の行為と一貫性をもつた一連の不可分の行為であつて、全体として綜合的に違法性の有無を判断され、実質的にも違法性を具有するものと判断されるべきものであるから、食堂における抑留監禁の行為が実質的に違法性を阻却されることを前提として、その後の六区室における抑留監禁の行為を食堂における行為に対し、その過剰行為となすことのできないことは勿論である。然らば、原判決が前記の如く被告人小松の六区室における中島輝子に対する監禁の所為に対し刑法第三六条第二項の趣旨を準用したのは、前説示の如く食堂における監禁は調査の終了に伴い終了し、六区室における監禁はその後別個の主体により新な謀議に基き実行されたものと事実を誤認し延いて法令の解釈適用を誤り、このことが被告人小松に刑の免除を言渡す事由となつていること原判決によつて明らかであるから、右の違法は原判決中被告人小松に関する部分に影響を及ぼすことが明らかである。この点の論旨はその理由があり、原判決中被告人小松に関る部分はこの点において破棄を免れない。

なお職権によつて調査するに、刑法が法律上刑を減軽又は免除し得る場合(刑法第三六条第二項、第三七条第一項但書、第三八条第三項但書、第四二条等)を個別的にその要件を明示して規定している趣旨に鑑みると、かかる要件を具備しない場合にはこれらの規定を準用し、刑の減軽又は免除をなし得ないものと解するのが刑法の趣旨に適合するものと解せられるのである。然らば仮に原判決の前記認定を是認するとしても、原判決が、被告人小松が六区室に中島輝子を監禁したのは違法阻却事由の過剰行為と認め、正当防衛の要件を充すものではないことを認めながら、刑法第三六条第二項の趣旨を準用してその責任を定めるのが相当と解するとしているのは、刑法第三六条第二項の解釈適用を誤つているものというべく、その結果原判決は被告人小松に対し刑を免除する旨の言渡をしていること原判決により明らかであるから、右の違法は原判決中被告人小松に関する部分に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決中被告人小松に関する部分はこの点においても破棄を免れない。よつてこの点に関する爾余の論旨に対する判断はこれを省略する。

第五、論旨第二の一、二について

一、中島の行為の違法性に関する理由不備の主張について、

所論によれば、原判決は理由の各所において、中島の行為を以つて「帰国者に対する法益侵害行為」(記録二、四九〇丁裏)、「中島輝子の不正な法益侵害行為に対する反撃行為」(記録二、四九〇丁裏)、「中島の非公開宣言後の違法な行為により侵害された帰国者の集会、結社、思想、表現の自由に関する権利」(記録二、四九一丁)、「中島輝子の違法な侵害行為記録二、四九五丁裏)、「本件は被害者中島の違法行為に端を発し」(記録二、四九六丁)等中島の行為について「違法行為」「法益侵害行為」「不正な法益侵害行為」「違法な侵害行為」という表現を繰返し使用し、恰も中島が大会場に非公開宣言後残留して大会の模様を傍聴したことが違法であると認定しているものの如くであるが、中島のかかる行為が何故に違法であるかについて何等これを明らかにするところなく、単に漫然と違法となし、かかる中島の行為の違法を前提として被告人阿部、同小松の刑事責任の有無及び範囲を定めているのであるがこれは明らかに理由を附さない違法があるものと謂うべきであるとの旨主張する。然し乍ら、原判決が中島の行為を以つて各処において所論指摘の如く表現しているのは、中島が大会場に非公開宣言後残留して大会の模様を傍聴したことが、帰国者等の集会、結社、思想、表現等の自由の侵害であるとなしているのであることは判文上極めて明白であり(記録二、四九三丁)原判決がかかる認定をしたことが事実誤認であることは既に説示したとおりであるが、それはそれとして、原判決は前記の如く中島の行為は帰国者等の集会、結社、思想、表現等の自由の侵害であるとしているのであるから、兎に角一応はその理由に欠くるところはないのであつて、原判決には此の点につき理由不備の違法ありと謂うことを得ず、此の点の論旨はその理由がない。

二、法益の均衡に関する理由不備の主張について、

所論によれば、原判決は「中島輝子に対し加えられた身体の自由の侵害は、同女によつて帰国者等が受けた集会、結社、思想、表現等の自由の侵害の程度に比し、未だその程度を超えるものとは認め難く」(記録二、四九三丁裏)と判断しているけれども、各法益侵害の内容程度につき何等具体的認定も判断の客観的基準も明示することなく唯単に主観的判断による結論を示しているに過ぎず、此の点において理由不備の違法があると主張する。

然しながら、法益の権衡を全うしていることを以つて被告人の行為が実質的違法性を欠くことの一事由とするにつき、各法益侵害の内容程度につき一々詳細に具体的に説明することは必らずしもその必要はなく、要するに一応所定の侵害された法益の何たるやを示すを以つて足るものと謂うべく、その示されたところの侵害法益が事実上存在したか否か、その程度如何の問題は事実誤認の有無に関するものに過ぎないのであつて、此の点の論旨はその理由がない。

第六、論旨第一の四のうち被告人阿部の主導的立場に関する事実誤認の主張及び論旨第三の四について、

按ずるに原判決はそのあるところでは、「被告人両名が帰国者と共に中島に対する調査を行うに至つたのは二区室における帰国者大会の決議に基き同被告人等がこれに参加するよう依頼されて同意したためであり…………被告人阿部が中島を促し食堂に導いた行為及び被告人両名のその後の行動は、右帰国者数名による中島の逮捕行為によつて開始され、その後継続して行われた監禁状態の一部に加担したものと理解すべきであり、従つて、右帰国者等のなした逮捕監禁の行為の法律的性質を検討することなく、単に被告人両名の行為のみを分離し、直ちにその違法性、有責性を論ずる検察官の主張も亦にわかに採用できない」(記録二、四八九丁及び同丁裏)、「検察官の主張はヽヽヽヽ被告人阿部、同小松の行為を帰国者等が中島に対しなした逮捕、監禁の行為から分離し、当該の中島に対する究明行為の主体が、帰国者等であることを無視し、しかも被告人阿部、同小松の食堂における調査質問行為が監禁の構成要件に該当することから、直ちにその違法、有責性を推断し、その実質的違法性の検討を怠つた嫌があるヽヽヽヽ弁護人は被告人阿部、同小松の行為が帰国者による中島に対する一連の逮捕監禁行為に途中から加担したものと主張し、大会場及び食堂における究明行為の実質的違法性の欠除を衝く点において正当であるヽヽヽ」(記録二、四九四丁裏、二四九五丁表)等それぞれ説示して、被告人阿部が本件中島の監禁については帰国者等の犯行に加担したという従属的立場に在つたことを強調すると共に、主導的立場において帰国者等を指導した事実を否定していること判文上洵に明らかである。

然るに原判決は、他の個所においては「他の二団体(日中友好協会、平和連絡会)はヽヽヽヽ従来米国占領軍によつて行われた帰国者に対する思想調査及び中国軍事情報調査が、日本政府当局によつて受継がれる虞があるとし、これを阻止して帰国者の人権を擁護し、又中国の好意に応ずるためにも右援護活動の必要があると主張し、帰国船入港後も援護局内にとどまつて諸般の活動を続けるのは勿論、東京または舞鶴において屡々政府当局に対し右の思想調査、軍事情報調査を行わないよう申し入れ折衝を重ねていたヽヽヽヽ被告人阿部ヽヽヽ被告人小松は、いずれも前記二団体の方針に従い活溌な活動を続けていた」(記録二、四六九丁裏乃至二、四七〇丁)と認定して、援護局をして思想調査等を行わせないための活動は、被告人阿部の本来の行動範囲に属すること従つて亦主導的立場にいることを示しているほか

被告人阿部は、(1)帰国者代表が、帰国者の政府に対する要望を、援護局次長と交渉するに当つて、その仲介をしていたこと(記録二、四七〇丁裏)、(2)帰国者その他の者が大勢いたのに自ら中島を促して隣室に導いたこと(記録二、四七二丁裏)、(3)中島の取調中自己の判断において、宇野次長を電話で呼出し、急遽登庁方を要請したこと(記録二、四七二丁裏)、(4)食堂における中島の調査中、同室に入つて来た押田敏一及び吉岡幸成に対して、自らこれに応待し、自己の判断において、それぞれ同人等を食堂から引取らせたこと(記録二、四七二丁裏乃至二、四七三丁)、(5)中島の調査打切を発言し、他の調査員もこれに同意したこと(記録二、四七三丁裏)(6)「当該大会場においても講演をなしヽヽヽヽ調査打切の近くには中島輝子に対し、積極的に質問を行つた等の行動及び大学教授としての地位などから大会場及び食堂を通じ帰国者及び来賓のみならず、中島輝子からも特殊な存在と見られ、その発言も大いに説得力があつた」こと(記録二、四八四丁裏二、四八五丁)、等を認定していると共に、その他記録によれば、

(1)  いわゆる白竜丸事件についても、被告人阿部は調査のため舞鶴に急行しており、このことは、本件の如き事件は単に帰国者だけの問題ではなく、被告人阿部自身の問題とすることであつたことを示していること(被告人阿部の原審における供述、記録二、一一三丁)

(2)  本件大会の開催に当り、宇野次長から非公開にしないよう要望された折、帰国者に付添つて出席していた被告人阿部がその応答をして、非公開にしないよう注意はするが、これらのことは大会で決定することで、責任を持つて約束できない旨を答えたこと(被告人阿部に対する昭和二八年一一月七日付検察官調書、証人宇野末次郎の原審における供述、記録二、二六三丁裏、一四四丁裏乃至一四五丁裏、一六三丁)

(3)  被告人阿部は、中島輝子を食堂で尋問することを発議し、賛成を得たこと(被告人の検察官に対する昭和二八年一一月七日付供述調書、記録二、二七一丁裏)

(4)  被告人阿部は、中島輝子を食堂に強制的に連行しただけではなく、常に最も近傍にいて、主として同人に対して尋問し、自白を強要したこと(原審証人中島輝子に対する尋問調書記録二七〇丁裏)

(5)  被告人阿部は、中島輝子から取り上げたメモ帖を、自ら宿舎に持ち帰り、江戸千代士等に示していること(証人江戸千代士の原審における供述、記録一、〇六九丁裏乃至一、〇七一噤j

(6)  援護局員が中島の救出に赴いた際、被告人小松及び今野一男は「阿部の同意がなければ渡せない」と云つて中島の引渡しを拒否したが、被告人阿部が見当らなかつたので、今野は被告人小松に相談した上、局員に中島の身柄を引渡したのであるが、此のことは、帰国者の総代表と雖も、被告人阿部及び同小松の同意がなければ中島を解放できなかつた事実を示していること(証人今野一男の原審における供述、記録八八七丁裏)

(7)  本件の指導的立場にあつた一人である芳賀沼忠三は、中島取調の主体は三団体の江戸、芳賀沼、阿部、小松であると答え、裁判長の再度の尋問により、結局帰国者代表者と三団体の責任者全部であると訂正して供述していること(証人芳賀沼忠三の原審における供述、記録一、一六一丁裏乃至一、一六二丁)

(8)  被告人阿部は、五月一八日の宇野次長との本件に関する折衝においても、主役として加わり、種々交渉した上、調査結果を三団体宛送付するよう要求していること(被告人阿部の原審における供述、記録二、一七一丁裏)

等の事実が認められ、これら原判決が認定した事実及びその他記録により認められる前記諸事実を綜合考覈すれば、被告人阿部は、終始自主的行動を続け、主導的立場において、帰国者、来賓等を指揮指導していたことが認められるのである。而も此のことは当審において取調べた、当審証人宇野末次郎、同栃尾清一、同押田敏一、同木下幸彦、同今野一男、同藤崎竜円、同中島輝子の各公判廷の供述、当審証人吉岡幸成、同中島輝子に対する各証人尋問調書の供述記載を綜合すれば益々明らかである。

然るに原判決が前示の如く阿部が本件中島の監禁につき単に帰国者等の犯行に加担したという従属的立場にあつたことを強調すると共に、主導的立場において帰国者等を指揮指導した事実を否定しているのは正しく事実を誤認したものといわねばならない。

そして、被告人阿部が主導的立場において帰国者等を指揮指導していたに拘らず、原判決が右事実を誤認したため中島輝子を寮内に監禁することにつき被告人阿部が被告人小松等と共謀していることを否定する一因となつていることは既に第一、において説示したとおりである。

次に所論は、仮に食堂における監禁後の中島輝子の寮内抑留につき、被告人阿部が被告人小松、今野一男その他帰国者数名と特に改めて謀議した事実がなかつたとしても、被告人阿部において食堂における監禁につき被告人小松等と共謀し、且つ実行行為を分担した以上は、その後特に中島輝子を抑留から解放して帰宿せしめ、或は援護局の責任ある職員に同人を引き渡して保護を委せる等適切な措置をとつて主謀者の一人として自ら開始した監禁を解消するについて、真摯な努力を払い、右の解放を実現しない限りは、それまでの共犯者が引続き監禁を継続することを認識する以上、当然共同正犯としての責任を負わなければならない。

しかも原判決は「被告人阿部はヽヽヽヽ中島輝子が当夜被告人小松と共に寮内に宿泊するであらうことを認識していた」ことを認めているのであるから、被告人阿部は自ら開始した監禁の全結果につき責任を負うべきであるに拘らず、共謀共同正犯としての責任を問うことはできないと判断した原判決は刑法第六〇条の解釈適用を誤つた違法があると主張する。

然しながら、被告人阿部において中島輝子が小松等と共に寮内に宿泊することを知つていたことは明らかであるが、同被告人が右の事実を知つていたのは第一、に説示した如く中島輝子を寮内に抑留することを被告人小松等と共謀したことによるものと認められるのであつて、所論の如く改めて共謀しなかつたとしても、同被告人が右の事実を知つていたものとは認め難いのである。また原判決が被告人阿部は、江戸千代士に告げられて中島輝子は寮内に宿泊するであらうと認識していたと認定していること所論のとおりであるが、これ亦事実を誤認していること第一の説示に徴し自ら明らかであるばかりでなく、原判決は中島輝子が寮内に抑留されることをも認識していた趣旨を判示しているものとも解し難いから所論はその前提を欠き失当たるを免れない。従つて、所論の如く原判決が「検察官の主張は、仮令被告人阿部は被告人小松その他の者が中島を階下六区室に移動させ同室内に抑留した実行行為に加担しなかつたとしても、寮内に同女を抑留することの認識があつた以上右六区室における同女の抑留についても責任を免れないものとするにあるものの如くであるが、右の主張は被告人阿部、同小松の行為を帰国者等が中島に対しなした逮捕監禁の所為から分離し、当夜の中島に対する究明行為の主体が帰国者等であることを無視し」と判示していることを理由として、原判決が被告人阿部の主導的立場を誤認したことが、中島輝子を六区室に抑留したことにつき被告人阿部に対し刑法第六〇条の適用を誤る原因となつているものとも認め難く、この点の論旨も所論の如き意味においては理由がないものといわねばならない。

第七、論旨第五について、

所論は要するに原判決には訴訟手続に法令違反がある旨を主張する。すなわち原判決が「中島が同僚から依頼されて大会場に残留し且つメモをしていた旨述べて間もなく調査を打切つた」(記録二、四九三丁裏)という事実を認定するに当つては証人中島輝子に対する原審尋問調書中の供述記載を一つの根拠としていることは明らかであるが、右の供述は同女の検察官に対する昭和二八年六月十九日付供述調書中の供述記載とは、明らかに実質的に異つた供述になつている。仍つて、検察官は刑事訴訟法第三〇〇条、第三二一条第一項第二号後段により、実質的に供述が異なる事実を主張して、右中島の検察官面前調書の取調を請求したところ、原裁判所においては、検察官及び弁護人の各主張を聴いただけで、両供述の間には実質的に異るところはないと速断し、何等証拠調をすることなくこれを却下し、しかも検察官の主張と異る前記認定をして、それをもつて食堂における監禁につき、被告人等に無罪を言渡す一理由としたのであり、これは、明らかに訴訟手続上の法令違反があるもので、しかも右違反が判決に影響を及ぼすことが明らかである旨主張する。

然しながら、原判決は被告人等が中島輝子を食堂に監禁した所為につき違法阻却事由の存在を肯定するに当り監禁という手段をとつたことが本件の場合その手段方法として相当であるか否かを判断することなく、監禁中に行われた調査質問行為が相当と認められるとして、このことを違法阻却事由の存在を肯認する一要件として挙示しているのであるが、この点原判決が手段方法の判断の対象を誤つていることは既に説示したとおりであるから、仮に原判決の訴訟手続に所論の如き違法があるとしても、右の違法は明らかに原判決に影響を及ぼすものとは認め難く、論旨は理由がない。

小松被告人控訴趣意、大塚弁護人控訴趣意第一点、芦田弁護人控訴趣意第一点一、及び小林弁護人控訴趣意第一点事実誤認の主張について、各所論は要するに原判決はその認定にかかる被告人小松の罪となるべき事実につき事実誤認の違法がある旨主張するのである。

よつて各所論に基き本件記録を精査し、原判決を仔細に検討勘案すれば、原判決は被告人両名等の食堂における監禁行為と六区室における監禁行為を別個独立の行為として事実を認定して居り、六区室における中島の監禁につき、被告人阿部は共謀共同正犯として関与したものではない旨認定しているのであるが、右食堂の監禁行為と六区室における監禁行為が一貫性を有し包括的に全体として行われた一個の監禁罪を構成するものであること、被告人阿部が六区室における監禁行為についても共謀共同正犯の関係にあるもの、従つて原判決に事実誤認の違法があることは既に第一及び第四において検察官の論旨に対し説示したとおりであるが、原判決の被告人小松の罪となるべき事実の認定自体は単に被告人阿部の共謀共同正犯の関係がなかつた旨の点を除外すれば総べて原判決挙示の証拠に照し優にこれを認定することができ、原判決には各所論の如き事由による事実誤認の違法は存しない。従つて前記各論旨はその理由がない。

大塚弁護人控訴趣意第二点、青柳弁護人控訴趣意、芦田弁護人控訴趣意第一点二、第二点、小林弁護人控訴趣意第一点のうち法令の誤解ある旨の主張について、

ところで、各所論の要旨は、大塚弁護人、青柳弁護人及び小林弁護人は何れも被告人小松の本件所為は実質的に違法性がない旨主張し、又仮に然らずとするも、同被告人に対しては適法行為を期待する可能性がなかつた旨主張し、芦田弁護人は、被告人小松の本件行為は正当行為であるとし、又正当防衛、自救行為、推定的承諾による行為である旨主張する。

然しながら、既に検察官の論旨第三の二に対し説示した如く、原判決が被告人阿部及び同小松等の食堂における中島の監禁行為についてすら実質的違法性を欠く旨の判断をなしていること自体法令解釈の適用を誤つた違法があるものと認めざるを得ないのであるから、前記食堂における監禁と一貫して全体的に包括して一罪と認められる各所論指摘の被告人小松の原判示罪となるべき事実につき、その違法性を認めなければならないのは極めて当然であつて、該行為が違法性阻却事由を有する正当行為であるとか、正当防衛、緊急避難、自救行為若しくは推定的承諾による行為と認むべき余地は毫もなく、此の点原判決が被告人小松の罪となるべき事実につき同被告人及び弁護人等の右各主張を排斥しているのは(記録二、四八九丁裏乃至二、四九一丁裏)、洵に正当である。又同行為が適法行為に出づることを期待することが可能でなかつたものと認める余地も当然なく、原判決には所論の如き違法は存しない。各論旨は総べてその理由がない。

以上これを要するに、被告人小松及び同被告人の弁護人等の各控訴趣意は総べてその理由がないから、被告人小松の本件控訴は刑事訴訟法第三九六条に則りこれを棄却することとし、検察官の控訴趣意中第一の一、二、三、及び第三の一、二、三、五、は何れもその理由があり、それら事実誤認の違法若しくは法令の解釈適用の誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであること前説示のとおりであるから、量刑不当の論旨に対する判断はこれを省略し、刑事訴訟法第三九七条第一項、第三八二条、第三八〇条、第四〇〇条但書に則り原判決を破棄し、更に当裁判所において直ちに次のとおり判決する。

(被告人両名の経歴及び在華同胞の帰国問題に対する協力の経過)

被告人阿部行蔵は東京都新宿区四谷所在四谷教会の牧師の職に在るかたわら東京都立大学人文学部教授として勤務し、被告人小松勝子は日本国民救援会の役員に就任していたものであるが、被告人両名は昭和二七年一二月一日北京放送が日本国民に宛て、中華人民共和国(以下中国と称する)政府は日本人居留民の帰国を援助し、その業務を中国紅十字会に委託する旨、又その交渉を行うためわが国の適当な機関又は民間団体の代表者の中国派遣方を希望する旨の中国政府の意向を伝えたことにより俄かに活溌となつた中国大陸からの日本人の集団引揚問題の処理について民間人として尽力を続けていた。ところが中国紅十字会は、右交渉の相手方として日本赤十字社、日中友好協会、アジア太平洋地域日本平和連絡会(以下平和連絡会と称する)の代表者等を指定して来たため、右三団体は直ちに連絡事務局を設けて日本政府との連絡に当らせ、代表者を派遣交渉の末昭和二八年三月五日協定が成立し、同月二〇日から中国における日本人居留民の集団引揚が再開されることとなつた。そして右協定によれば、帰国者引取りのため中国に派遣される船舶には右三団体の代表者の乗船が要求されたのに、日本政府職員の乗組は許されていなかつたので、日本政府当局は船内における入国及び帰郷に関する諸手続も不可能となり、已むなく従前からの引揚者受入事務の処理方法に従い、配船の準備を行い、舞鶴引揚援護局(以下援護局と称する)をして受入手続を行わせることとしたが、右の事情に鑑み、三団体の業務は帰国船の舞鶴入港によつて終了すると解し、その後は政府の引揚業務に引継がれるとの方針を定め、援護局内に三団体連絡事務所を設置することを認めず、帰国船に乗船した三団体代表者が援護局内に宿泊することも許さなかつたが、右三団体等について各団体毎に二名に限り局内に出入りすることはこれを認めていたので、日赤を除く右二団体の派遣員は帰国者上陸後も援護局内に出入し、帰国者に対し思想調査、中国軍事情報調査等の行われないよう監視的立場に立つて帰国者のため諸般の援護活動を行うと共に右二団体は東京又は舞鶴において政府当局に対し右の思想調査、軍事情報調査を行わないよう申入れ、折衝を重ねていた。そして被告人阿部は前記職務に従事するかたわら、かねてから日本平和連絡会に属し、同会から派遣されて前記三団体連絡事務局の事務を担当し、その後帰国業務の援助を目的として組織された在華同胞帰国協力会の総務局長の地位をも兼ね、又被告人小松も日本国民救援会より派遣されて右帰国協力会の事務に参画し、いずれも前記二団体の方針に従い活溌な活動を続けていたものである。

(罪となるべき事実)

被告人阿部、同小松の両名は右在華同胞帰国協力会及び日本平和連絡会の派遣員として、昭和二八年五月一五日舞鶴に入港した第三次興安丸乗船の帰国者を出迎えるため、その頃舞鶴市大字中田所在の舞鶴引揚援護局に赴き、帰国者の上陸後も同局に出入し、被告人阿部は帰国者の政府に対する要望につき援護局次長と交渉するに当つてその仲介代弁等の労をとり、又被告人小松は第四次帰国船に乗船するための打合せをするかたわら主として婦人帰国者の生活問題について相談に応ずる等の活動を続けていた。ところが、同月一七日午後七時三〇分頃から帰国者の政府に対する要望につき帰国者代表が行つた交渉の経過報告、帰国者の当面する生活上の諸問題の討議を目的とし、援護局第二寮二階二区室において帰国者約七百名が参加して帰国者大会を開催し、被告人両名興安丸乗船の日赤を除く二団体の代表者江戸千代士、芳賀沼忠三その他数名の民間団体からの来賓も招待されて出席し、公開のまま開始された。同大会においては、司会者の挨拶の後被告人阿部が日本の現状についてと題する講演を行い次いで帰国者総代表今野一男の右交渉の経過報告を終り、右報告に対する質疑応答、当面の諸問題に対する大衆討議に移つた午後八時三〇分頃帰国者等の要望により、司会者は大会を非公開で行うことを宣言し、帰国者及び来賓以外の者の退場を求めたので傍聴していた援護局職員一〇数名は会場を立去つた。然るに第一次の帰国者で当時満蒙同胞援護会に属し、同会の推薦に基き無給の援護局非常勤職員に採用されて同局相談室に勤務し、元満鉄職員に対する退職手当の支払等に関する事務に従事していた中島輝子(当時二六年)は、自己が第一次の帰国者であるためその後の中国事情を聴取したいとの興味にひかれると共に執務上の参考にも資したいと考え、勤務時間終了後同大会場西北側畳上に座つたまま大会を傍聴し、非公開宣言後もそのまま退場しないでいたため、司会者が非公開を宣言した数分後に帰国者の一人に発見され、附近の帰国者数名に取囲まれて身分や退場しない理由を詰問されたが、その場を逃げ出そうとしたため、同人等によつて同会場中央廊下東側の演壇前に突出された。大会出席者はこのため殆んど総立ちとなり同女の周辺に詰寄つたが、その間帰国者の中から同女が同夜会場でメモをとつていたこと、又同女が履々援護局員を表示する腕章をして同局内を徘徊し、時には寮内で帰国者の談話を筆記していたこと等の発言がなされたため、大会々衆は次第に同女の身分、行動等に疑惑を深め騒然となつた。そこで司会者、総代表等も中島にその姓名、身分、退場しなかつた理由等を尋ね、メモした用紙の提出を求めたが、同女はこれに全く返答せず、ズボンポケツトに両手を入れ紙片を揉み破るような仕草を続け、再三要求された末漸く紙片、メモ帖等を取り出したが、その頃被告人小松は演壇北側から中島の傍に進み、帰国者の誤解を解くよう同女に話しかけたうえ同女の上衣、ズボンのポケツトを調べ、ズボンポケツトから腕章、紙片、風船等を引出した。ところが右のメモ帖、紙片には被告人阿部の講演や総代表今野一男の報告事項の一部が記入されていたばかりでなく、中国に抑留されている戦犯者或いは帰国を延期された者の氏名等を調査したと認められるかのような種々の記載があり、又腕章は援護局職員であることを表示するものであつたために、官憲による思想調査、中国軍事情報調査を嫌悪、警戒し、政府に対する要望事項中に特に一項を設け、これらの調査を行わないように強く望んでいた帰国者等は、中島が政府当局の命をうけて大会に潜入し、帰国者の思想ないし動静を探査していた者であると誤信して激昂し、同女を徹底的に調査すべきであるとして大会の続行は一時不可能となつた。然し帰郷を翌日に控えていたため、大会本来の目的である当面の諸問題についての討議を続けたいとの希望や、中島に対する調査は小数の者を選んで別室で行わせた方がよいとの意見が出て大会に諮つた結果、被告人両名を含む来賓の同意を得て結局中島に対する調査は大会場東側に隣接する食堂において今野一男等帰国者の代表約一〇名、被告人両名、前記江戸千代士、芳賀沼忠三等によつて行うことに決定された。そこで、被告人両名は中島輝子の調査員に選ばれた今野一男、江戸千代士等一〇数名と共謀の上同女が不当に大会に潜入した理由を究明するため、午後九時過頃同女の右腕を捉えて右会場の隣室である食堂に連行して同女を取囲み、その出入口に監視者を附して同女を監禁した上、交々その氏名、住所、年齢、経歴、身分、大会に潜入した理由等を脅迫的言辞を交えながら追究し、同女が執拗な追究に堪え兼ね已むなく藤崎竜円に頼まれ大会に潜入した旨虚構の事実を告げてから後は専らメモの内容につ尋問を続けていたが、午後一二時過頃大会は中島の問題については徹底的に調査のうえ援護局と折衝することを調査員に一任して解散し、その旨の連絡もあつたので、なお暫く中島の調査を続行したが、既に深夜に及んだため一応食堂における調査を打切り、被告人両名は他の調査員と相謀り翌一八日の援護局との折衝に中島を立会わせるため引続き同女を援護局寮内に抑留監禁することとし、五月一八日午前一時頃被告人小松は中島の手を引き、帰国者数名及び右調査に参加した下山和子がこれを取囲むようにし、第二寮中央階段を通つて同女を階下六区室に連れ込んだが、同室の板敷中央廊下を挾んで両側に敷いてある各百畳位の畳上には多数の帰国者が就寝していたので、同室西側畳上に毛布を敷き同女を寝かせようとしたが、同女がこれに応ぜず、中央廊下と畳との間の踏板に腰掛けたので、そのまま放置し、被告人小松、下山和子がその後方に横になり、北側畳上には帰国者数名が座つて同女を監視し、なお同女が間もなく東側便所に赴こうとした際にも被告人小松及び帰国者の一人がその両腕を取つて誘導し、午前二時頃中島を探し求めて同室に入つて来た同局相談室勤務非常勤職員木下清一、給養課長石黒尚、同課員平岸隆が中島を発見し、庁舎に連れ帰るため同女の腕を抱えるまで、同女を抑留して監禁を継続したものである。

(証拠の標目)(略)

(法律の適用)

被告人両名の各所為は刑法第二二〇条第一項、第六〇条に該当するから、その所定刑期範囲内において被告人両名を各懲役三月に処し諸般の情状に鑑み刑法第二五条第一項を適用して何れも一年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用の負担につき刑事訴訟法第一八一条第一項本文第一八二条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 山本謹吾 渡辺好人 石井文治)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例